「孤児のアン」東京ローズの壮絶な人生
突然ですが、東京ローズをご存知でしょうか。
太平洋戦争の最中に日本が連合国軍向けに行っていたプロパガンダ放送で、この女性アナウンサーに対してアメリカ軍の将兵がつけた愛称です。
日本政府がイギリス軍やアメリカ軍等連合国軍に向けて、ラジオ・トウキョウ放送から発信していました。
その内容は、捕虜から家族宛の手紙の紹介等でした。
その中で軍当局の発案により、捕虜になっているラジオの専門家を使っての放送が決まりました。
こうして「ゼロ・アワー」が始まり、前線のアメリカ軍の兵士の間で評判となりました。
艶っぽい声で過激な発言をするある女性アナウンサーに、アメリカ軍兵士たちは「東京ローズ」という愛称をつけ、大人気を博しました。
ゼロ。アワー放送開始の3か月後にアナウンサーとして加わったアイバ・戸栗・ダキノは、自らを「孤児のアン」と名乗り放送していました。
終戦したあともアメリカ軍兵士たちは東京ローズがだれなのかわからず、GHQの制止すら振り切って捜索しました。
しかし、ラジオ・トウキョウ放送の関係者は、アナウンサーが戦犯に問われる可能性があったために名前は隠していました。
そんな時に、アイバ・戸栗・ダキノは自分が東京ローズの一人だと認めました。
のちに国家反逆罪に問われることになりますが、裁判では兵士が証言した声質や放送内容が違っているということでした。
彼女は日系2世としてアメリカで生まれ育ちました。
カリフォルニア大学卒業後、叔母の見舞いのために来日します。
しかし、日本の風習になじめず、「アメリカに帰りたい」という手紙を何度も送っていたようです。
そんな来日中、太平洋戦争の開戦のためにいよいよアメリカへ帰ることができなくなってしまいます。
母親はアメリカで日系人収容所へ行く途中に病死したようです。
彼女は日本へ帰化するよう警察から圧力をかけられたが、これを断固拒否し続けました。
その後彼女は、紆余曲折ののちアメリカに帰国しますが、対日協力者として国家反逆罪で起訴されます。
判決は放送に参加したこと自体を問題とし、有罪となりました。
これは女性としては初めての国家反逆罪となりました。
このおよそ30年後に、この裁判についてFBIに偽証を強要された、等とした記事が報道され、彼女はアメリカ国籍を回復しました。
晩年2006年には、「困難な時も米国籍を捨てようとしなかった“愛国的市民”」として退役軍人会に表彰されています。
その8か月後、彼女は脳卒中で90歳の人生を終えました。
アメリカ人として育てられ、日本で苦しい時間を過ごし、帰国してもまた苦しんだ悲劇的な人生でしたが、その最期には本当の幸せを感じたように思います。
彼女ほど自国を愛し、誇りに思い続けた人はそう多くありません。
そのような強い気持ちで生きるとはどういうことなのか、私たちもゆっくり考えるべきなんだろうと思います。